2013/10/21

和歌山から奈良へ【絵画展示と学習会のおしらせ】

子どもたちの日本渡航、早いものでもう前半が終わろうとしています。

今日は後半部で予定されているカンボジア学習会や絵画展のお知らせを・・・。

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スナーダイクマエの子どもたちの絵画展示

10月23日(水)・24日(木)
@みそら屋(奈良県磯城郡三宅町保健福祉施設「あざさ苑」内)
午前10時から午後3時まで

10月24日(木)
@社会福祉法人ひまわりの家
午後5時から



カンボジア学習会

10月24日(木)
@社会福祉法人ひまわりの家
午後6時から
「カンボジアの子どもたちと共に生きて」 メアス博子
参加費 500円
問い合わせ: 0744-33-8585 反差別・人権交流センター絆

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今回の奈良滞在、上記の絵画展示や学習会では下記団体・学校の皆様に
大変お世話になっています。

社会福祉法人ひまわりの家
反差別・人権交流センター絆
磯城郡川西町川西小学校



6月以来のお話会ですね・・・。
準備はしているものの、やはり・・・緊張するのでうまく話せるかどうか。

このブログにちょこちょこと書き綴ってきたことに加えて、直接語りかける
機会だからこそできるお話をと考えています。

2013/10/15

13年ぶりの秋

私の地元は和歌山県海南市。
実家から車で30分ほど行ったところに「りら創造芸術高等専修学校」が
あります。
今年の夏、全国でいのちについての講演をされている同じく海南市在住
の岩崎順子さんとトークイベントでご一緒させて頂いた際に、この学校の
学生さんたちとつながりができました。
学校にもお邪魔して生徒さんたちに少しだけカンボジアや施設のことを
お話したのですが、そのときの訪問の目的は「打ち合わせ」。

なんの打ち合わせかと言うと、毎年この学校が会場となり開催されている
「世界民族祭IN真国」の特別企画に私と施設の子ども2名が参加させて
頂くためです。
民族祭についてはこちらから

学生さんたちが「りらプリン」と名付けた手作りプリンを販売し、子ども2名の
渡航費の一部を負担して下さると言うお話。

そして民族祭のプレイベントとして和歌山電鉄貴志川線車内で、子どもたちの
絵画展示をして下さると言うことなのです。
こんな感じで展示されています


カンボジアに来てから地元和歌山の方々ともご縁はありましたが、海南市
の皆さんに施設のことを知って頂く機会は少なかったように思います。
2年前から和歌山市で絵画展を開催させて頂けるようになって、少しずつ
周知して頂けるようになりました。

民族祭当日(10月19日(土)・20日(日))にはスナーダイ・クマエとして
ブースを出す機会も頂きます。
子どもたちの絵画展示、オリジナルグッズやカンボジア雑貨の販売も
行います。
施設の説明や子どもの日本語スピーチ発表もあります。
すでに県内外から「行きます」との声が多数、ありがたいですね。

明日の今頃にはすでにカンボジアを飛び立っている予定です。

もちろん日本どころか外国に行くのが初めての子どもたち2名は数日前から
そわそわしていますが、私もそわそわ(笑

なぜなら、カンボジアに移住してからこの13年、一度も秋に帰ったことが
ないからです。

今晩寝れるかどうか・・・(笑

食欲の秋を堪能・・・ではなくて(笑)、子どもたちにとって実りのある滞在に
なるようにしっかりサポートしてきたいと思います。



2013/10/07

卒業生のはなし② ラーヴォの巻

「この中で一人だけでもあなたの気持ちを理解してくれる子どもが
いたら、それでよかったんやと思いなさいよ。多くを求めたらあかん。」

施設を訪れたときの母の言葉です。もう10年以上前でしょうか。



私にとってまさにその一人だと実感している卒業生、それがラーヴォです。


幼き日のラーヴォ
私が施設に来てすぐの頃、子どもたちは上記写真のような高床の小屋で
生活していました。
ラーヴォはまだ小学生、ものすごく華奢で、太ももに隙間が合って向こうが
見えてしまうくらいにガリガリでした。

日本語を学ぶ機会のあった当時、25名ほどいた子どもたちの中でもダントツ
に日本語習得能力の早かったラーヴォ。
私との日常会話はほぼ日本語でした。

ミーティングの時、私が語りかける内容にまっすぐな視線を向け、一生懸命
聞く子どもの一人でもありました。

高校を卒業し、就職してからも気軽に私の部屋に遊びに来て何時間も
おしゃべりをすることを私も彼も本当に楽しみにしています。

今はガイドや通訳、テレビのコーディネーターなどをしながらも、夜間の大学に
通っています。(日本の有名な方には私以上に会っています・笑)
就職し、何年かしてから資金をしっかり貯めて念願の大学生になったのです。
そんな彼から見ていると、卒業してすぐに仕事と大学を両立させようとする
最近の卒業生には「ちょっと早すぎるんじゃないの?」と言いたい気持ちも
あるようです。
それでも彼の存在があとを追う卒業生たちの目標となっていることは
間違いありません。


私がスタッフや子どもたちのことで悩んでいるとき、ラーヴォが心のよりどころに
なったことが何度あったでしょうか。
私の伝えたいこと、本当の気持ちを心底理解してくれるという実感。

落ち着いていて、特に感動的なことをいうわけではないけれど、タイミングを
逃さずに様子を見に来てくれたり、話を聞いてくれたり・・・
私もどちらかというと「わかりづらい」と言われるタイプなので、ラーヴォの
実はその人のことをちゃんと思っている気持ちがすごくよくわかります。

ラーヴォ(右)すっかり貫禄満点
10月半ば、子どもたち2名が日本渡航を控えています。
カンボジア人は日本に行く際には保証人をつけてビザ申請しないと
いけません。カンボジアでその書類を受け付けてくれるのは首都
プノンペンにある日本大使館のみ。
私が忙しいことを知って、ラーヴォが書類提出に行ってくれました。

「僕プノンペンに行きますよ」

さらっというので、私は彼が他にも用があると思ってお願いしました。

到着して「もう提出しました」と報告をくれたので、「ほかになんの用があって
プノンペンに行ったの?」と聞いたら、「なーんにもありませんよ 笑」と。

子どもたちの書類提出のためだけにバスで6時間ほどかかるプノンペン
まで、私の代わりに行ってくれたのです。
すぐにとんぼ返りしてきたラーヴォ。

日本の感覚で言うと、関西から「東京行ってきますよ」くらいの感じです。

私はこんなふうにしてラーヴォに助けられ、甘えてきたことが何度あるか・・・。


彼は今、村の家族の中でも大黒柱となっています。
幼い時に亡くなった実のお母さんのための法事を取り仕切り、自宅の
改造費も彼が出していました。

さらに親戚の中で教育の機会のない子を学校に通わせていました。
その子が無事に卒業となったときにはじめて私にそのことを告げました。
「自分がしてもらったことを今は自分が他の人にできるようなった、そのことが
自分でも感慨深い。ここまできたんだなと言う気持ち。」と。


私の母が言った「ひとりでも・・・・」、これが私の胸によみがえったときでした。

私は「自分のしてもらったこと、教えてもらったことを別の人につないで
いくこと」を子どもたちにわかってほしい。

私が母からもらったものが子どもたちに、そして子どもたちがまた別の人たちに。

ラーヴォが帰ったあと、本当に胸が熱くなりました。

「おじゃましまーす」と言いながら笑顔で部屋に入ってくる彼の顔がなによりの
励ましになっているのです。

2013/10/05

卒業生のはなし① サヴィーの巻

2000年、プノンペンから半日以上かけて車でシェムリアップに
到着した私。
車から降りたとたんに20名以上の子どもたちに囲まれて、

「おかーさん!」

と、言われました(笑

末っ子、いとこの中でも最年少、そんな環境で育った私はいつも
みんなのあとを追いかけてばかりで、小さい子と遊んであげると言う
経験があまりなく、正直なところ子どもは苦手なほうでした。

どうしよう・・・という思いの方が強かったかもしれません。

そんな私が13年も子どもたちと共に暮らし、やめることなくここまで
これたのは本当に不思議です(笑

ちょっとお休みしていましたが、また書いてみようと思います。
今度のシリーズは卒業生のことにします。

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今は旅行会社で事務の仕事や、農村にお客様を案内するという
仕事をしてるサヴィー。

社会人になって3年目です。

施設にいた時はおとなしい印象。
入って来た時は弟も一緒でしたが、弟は結婚したお姉さん宅に
引き取られて行きました。

卒業になってもなかなかやりたいことが見つからず、他の子たちが
就職を決める中でずっとうちに残っていました。

公私共にお世話になっている写真家・足立君江さんのご紹介で
カンボジアティータイムというお菓子の製造販売会社に就職させて
もらいましたが、翌年退職しました。

その際には社長さんからお電話を頂きました。
「私たちの会社でのことは今後の経験にしてもらえればいいのです。
彼は自分が旅行会社で働きたいときちんと話してくれました。
これからの活躍をお祈りしています。」

器の大きな方だと思いました。
私も小規模ながら人を雇用させてもらう立場にいますが、辞めていく
スタッフにこんな言葉をかけられるかどうか・・・。

そして今、サヴィーはピースインツアーアンコールと言う旅行会社で
社員として働かせてもらっています。

仕事も順調、会うときの表情は明るく、爛漫で裏のない性格には
いつもほっとさせられています。
9月の終わりか10月の始まりか忘れましたが、サヴィーがフェイス
ブックにこんな投稿をしていました。

(うろ覚えですが・・・)
バイバイ9月
いつも応援してくれているみなさん、ありがとう。
おはよう10月
これからもがんばります。
サヴィーの許可を得て掲載 笑
上記の写真つきで。



私が「また遊びに来てね、日本のお茶を一緒に飲みましょう。」とコメント
したら・・・




おかあさん、いつもサポートしてくださってありがとう。

いつまでもおかあさんの優しさ忘れません。

おかあさんのおかげでこの日がある。

おかあさんがいなかったら私は将来の夢を見つけない。

ありがとう、ありがとう。

私はおかあさんのためにできること1つもない。

ありがとうという言葉しか言えない。

ありがとう。これからもよろしくお願いします。





こんなコメントを返してくれました。(日本語で、ですよ)

できることは1つもない・・・なんて・・・全然そんなことない!
こんなその場で倒れてしまいそうなほどうれしい言葉をくれているん
ですもの。

私がここで前に進める原動力の1つ。
それは卒業生たちの存在です。

いつも自信がなさそうで、困ったような顔をしていたサヴィー。
人の前に出て目立とうとすることはなく、陰でコツコツと努力するタイプ。
そんなサヴィーが今では自分の気持ちを自分の言葉ではっきりと
表現できるようなったことがわかって、ほんまにほんまにうれしかったです。

一緒に暮らしていた時は厳しいことをいうときのほうが多かったと思います。
でも今になってそれが優しさだと気づいてくれたことがなによりの
喜びです。

小さい時に知らない人だらけの施設に連れてこられてどれだけ心細かった
でしょうか。
私が彼にとって支えになれていたのだとしたら、そんなに幸せなことは
ありません。