2014/12/02

海南市民講座 【これからの生き方と逝き方】

11月29日海南市の福祉センターで開催された市民講座でお話しする
機会を頂きました。
今回はいつものようにカンボジアのお話ではなく、9月にすい臓がんで
亡くなった父を自宅で看取った経験をお話しするというものでした。

福祉センターは何年も前に華道講師であった母が華展をさせてもらった
ことがある場所です。
華展終了後に一枚ずつ手書きで来場者の皆さんにお礼状を書いていた
母をふと思い出しました。
母は父よりも9年早く急性心不全で他界しています。

この日は一緒に看取りをした姉と共に話をすることになっていました。
これも初めてのことで、前夜に軽く打ち合わせをしましたがどうなるかは
わかりませんでした・・・。

登壇される皆さんと事前の打ち合わせを少々したところで時間になり会場に。

大盛況
客席にはたくさんの方がいらっしゃって、後ろの方で職員の方が新しい椅子を
準備されている姿が見えました。

それでもまったく緊張しなかったのは不思議です。

いよいよ自分たちの番になりました。
資料に従って話すように準備していたため、すらすらと言葉が出ました。

父の逝き方~家族、周りの方と共に~というタイトルで
写真にもありますが、ガンがわかってから、それについての話し合い、その後の
自宅での介護から看取りへの流れとそのときどきの私たちの気持ちをお話し
しました。

父がガンとわかったとき、なんでうちのお父さんが・・・と思いました。
母が急性心不全で亡くなったこともいまだになぜという思いが消えることは
ありません。

父がガンの治療はしないと決めたこと、それを家族で全力でサポートすると姉と
話し合ったこと、信頼できる医師と看護師に出会えたことがよい看取りができた
要因だというお話をしました。

父は若いころ遊び人でとにかく母に迷惑をかけてばかりの人でした。
私も姉も父が嫌いでした。
一言で遊び人と言いますが、想像を超えた遊びをする人でした・・・。

どうしてそんな父を私たち姉妹が全力でサポートする気持ちになれたのか。
先に亡くなった母から託された気持ちがあったからではないでしょうか。
父がこうして家族に自宅で看取られて逝くことができたのは、母が父を見捨て
なかったからだと思います。
そして母の急逝というつらい体験があったからこそ、父の時は精一杯悔いなく
できることをしようと思えたのでしょう。

そんなことを思うにつけ、母の愛というのは深く、大きなものだったのだと感じます。

母がそこまで見越していたのかどうかは誰にも分らないけれど、そうやって
自分なりに答えを見つけることで愛する人の死を受け入れていくのだと思います。
完全ではないにせよ、私は母の死を受け入れるのに10年かかったことになり、
受け入れることに手を貸してくれたのは父の看取りという体験でした。
結局は両親の大きな愛の中に自分はいるのだと思います。


介護をする姉に「ありがとう、すまんなあ」と言っていたという父ですが、私にはそんな
ことはなかなか言ってくれませんでした。
昔から私には娘というよりは息子に接するような父でした。
父を最期まで看てくれた新垣医師の手紙には、カンボジアから私が戻った時
前日まで80しかなかった血圧が100まで上がったエピソードが書かれていました。
言葉にしなかったけど、私がいたことを喜んでくれたのだと思います。

病気になってから父が何度も私たちに言ったことがあります。それは「きょうだいで
仲良くするように」ということでした。
とにかくそのことを気にかけているようでした。

何をするにしても正反対の姉と私ですが、それゆえにないものをお互いに補える
のかもしれません。
若いころは自分と違う姉にいらだったり、喧嘩もしましたが、きっとこれからは
仲良くやっていけると思います。
とはいっても、もともと仲が悪かったわけではないのですが・・・。


会場の真ん中最前列に私が尊敬する岩崎順子さんが座っていました。
この夏、私が本音を話せるように、父の命がある間に本音でカンボジアのことを
人前で話せるようにとその機会を設けてくださったのが岩崎さんでした。
父は当日会場に来る体力はなかったけれど、私の友人が撮影してくれたDVDを
うちで見てくれました。
『ええトークショーに仕上がったな』と言っていました。
私は父と最後にかけてもらった言葉がどうしても思い出せないので、この言葉を
最期の言葉だと思っています。
この日終始落ち着いて話せたのは岩崎さんの顔がずっと見えていたからですね。
岩崎さんのブログ


人前で話す経験など皆無の姉が緊張しながら少ない言葉で一生懸命話すのを
横ではらはらと見ていました。
できるところは助けたつもりで、結果的にほとんど私が話すことになりました。

きっと私たち姉妹はこれでいいのだと思います。
なぜならどちらも自分にもっていないものがあるのに、お互いにそこに嫉妬する
ことなく素直に違いを受け入れているからです。
そんな気持ちを持てる姉妹に育ててくれた両親に感謝したいと、改めて思いました。


若いころ滅茶苦茶だった父ですが、その中にも譲れない信念のようなものを
持った人でした。
いつ死ぬかわからんから好きなことをするんや、とよく言っていました。
一方仕事で人に迷惑をかけることはなかったように思います。

そんな父の生き方を、最期の逝き方につなげることができたのが私たちの
看取りの経験だったのです。
つたない話だったのでどこまでそれを皆さんにお伝えできたかわかりませんが
私自身も大変有意義な時間を頂いたと思います。

関係者の皆様、ご来場の皆様、ありがとうございました。
もしまた海南の皆さんのお役に立てる機会がありましたらぜひ参加させて
頂きたいと思います。
ずっとカンボジアで、日本の皆さんにお世話になりながらカンボジアの子どもへの
活動をしてきた私が、ようやく日本で何かを還元させて頂けるときを頂けて
心が救われる思いです。

ありがとうございました。