2016/01/17

21年目

1月17日、一生忘れることのない日。


あの日の早朝、試験勉強のため徹夜していた私。
隣の家のおばさんは圧死したけれど、すぐ横で生きのびた私。
そしてなぜか今はカンボジアに住んでいる私。

21年経っても、あの日の記憶はすべてモノクロでしか思い出せません。
神戸から色が消えた日でした。


あのとき神戸に住んでいたというと、カンボジアでの使命が待っていたから
生かされたのかもしれないねという言葉をもらうことがあります。
そういうふうに言ってくださる方を否定するわけではないのですが、でも
違うんです。
みんな同じ状況だったのに、たまたま命拾いしたんです。

あのときにもらった命だから、カンボジアで子どもたちと一緒に暮らすことを
心に決めた、なんて安っぽいことは死んでも言えないと思っています。

そのことを今のカンボジアの活動の意味づけになんてとてもじゃないけど
できません。
6000人以上もの方が亡くなったあの震災にむけて、生き残ったから自分は
どうのこうのなんて言えないんです。


みんな生きたかった、それだけが真実だと思います。


生きている自分に今日できることといえば、静かに祈ることだけです。


また1年、丁寧に生きよう。




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