新年のごあいさつですら遅れがちのわたくし。
どうか懲りませず、今年もよろしくお願いいたします。
「お姉ちゃんはええなあ、長いことお母さんと一緒にいられて。って
あやちゃん(私の母)には何回もそんなこと言われたんよ」
お正月、田舎で親戚が近所にたくさんいる中で育ったもので、毎年元日には
叔母のうちにあいさつにいきます。
今年もいつもと変わらずに行ったのですが、少し遅れてしまったこともあり
いとこたちはそれぞれどこかに行ってしまっていました。
残されていた叔母(といってももう80前のおばあちゃん)が話し出したのは、
いつもならにぎやかな食卓に残された私と二人の時でした。
叔母と私の母は10歳も離れたきょうだいです。
それで叔母に母は、お姉ちゃんのほうがお母さん(私の祖母)とたくさん
時間を過ごせてうらやましいとよく言っていたそうなのです。
私は母からおじいちゃんの話はよく聞いていたので、おばあちゃんのことを
そんな風に言っていたことを知りとても意外に感じました。
叔母はつづけて言いました。
「あやちゃんが亡くなった時、私は涙も出んかった。あの子が先に逝くなんて
誰も思ってへんかったやろ。茫然と、なんで?なんで?と思うだけやった。」
このブログに何度か書いていますが、私の母は2006年に急性心不全で
亡くなっています。
その日の朝まで元気だったので、誰もが信じられない思いだったのです。
叔母からそんな自分の気持ちを聞かされたのは初めてのことでした。
45年前のあやちゃん |
んかなあって。私はそう思って納得するしかなかったんよ。」
叔母の最後の言葉を聞いて、母への関わり方が違うと死の受け止め方も
違うんだなと思っていました。
そこに違和感はなく、むしろ叔母の言葉のおかげで腑に落ちたような気が
したのです。
私は母がどうして60歳という年齢でこの世を去ってしまったのか、自分が生きている
間にその答えは見つからないと思っています。
叔母の話を聞くことができて、それが答えではないけれど、少し救われた
ような気持ちになったのでした。
今日、1月7日は母の命日です。
昨年9月に膵臓癌で亡くなった父と一緒に私や叔母のことを見ていてくれた
かもしれませんね。
それとも、叔母の体を使って母が私にくれたメッセージだったのかもしれません。
母の命日だからこそ、明日カンボジアに戻るというバタバタの中でもこの
ことをブログにつづりたいと思いました。
元日に母を感じることができた2016年。
今年は新しいことにも挑戦していきたいと思っています。
相変わらずの不定期すぎる更新ですが、皆様温かく見守っていただけましたら
幸いでございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
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